a day in the life. それぞれの生活とか

たとえば、僕が「これよくない?」って誰かに言ったとして、誰かがそれに興味を持ったり無関心だったりして、その反応は一瞬で通り過ぎてしまうものであり、残念ではあるけど、当たり前のことだと思う。

一方で、現実的に僕がゲームを作ると、長い間、開発の仲間や、投資家や、協力していただく全てのヒトが関わっているだけに、一瞬では終わらない。みんなの力の賜物で、これは実にありがたいことだ。でも、それでも、ゲームが世に出た瞬間から、関心の喪失が刻一刻と始まることに変わりはない。野菜も魚も肉も、流通した瞬間から鮮度の衰えが始まるのとある意味似ていると感じる。

そういった生命たるヒトにとっての食品群は、鮮度の衰えに対する抵抗ができないけども、僕が作っているゲームはまだ抗うことができる。良くも悪くもデジタルだから、そのものが劣化することはないし、むしろよくしていくことすらできる。

ゲームにとっての深刻な問題。それは知られていないことだ。それがそこにあることすら認知されていないことだ。生まれた瞬間から刻一刻と社会的な鮮度が衰えていく中、今こそ関心を保ち、広げ、周知させなければいけないと強く思う。

全てのヒトがそれを知った上で、それいらない、と言われるのなら仕方がないと思う。でも、知られずに埋もれていくのだけは絶対に避けなければいけない。それが僕の使命であり、関わった全ての人に対する礼儀だ。

そのためにやるべきこと。それはゲームそのものの質を上げ続けること。そしてそれを発信し続けること。限りなく弱い力だとしても、絶対に諦めずにそれを続けること。

地球上のすべてのヒトが喜怒哀楽を感じながらそれぞれの生活を過ごしている。その中にいったん届いて、何かしらを起こしてみたい。たとえ結果として無風だったとしてもだ。

世界中に目を向けると食べられないヒト、生活すらままならないヒト、生きることすら難しいヒトがたくさんいて、正直娯楽のためのゲームなんかって思う瞬間もある。そんな圧倒的な世界の堪え難い現実の前にあるのが、ただただ無力さだとして、あきらめたら世界は変わるのか?それぞれの生活が良くなるのか?

答えは完全にNo。

じゃあやれば世界は変わるのか。それも分からん。。。けどもNoでないことは間違いない。無力ではなく極微力なだけであり、未来は分からない、と言うのが絶対的正解だ。もしかしたら世界の片隅にたまたま届いたこのゲームを遊んだ人が、将来すごい人になって、それぞれの生活を変えるようなことをやるかもしれない。小さな力は今は小さいけど、そのわずかな振動がもしかしたら遠い未来に大きな力に育ち、何かが変わるかもしれない。

そんなアホみたいなことを妄想しながら、僕は僕なりのそれぞれの生活を続けていく。つまり、アップデートを絶対に実現させる所存であります。