Just do it!

前回の更新から1週間以上。
これはやばい兆候だ。なんども宣言してなんども挫折して、今度こそと思い、結局ダメ。
いい加減そんなことからは卒業したい。

困った時は告知ですね。これしかない。
効果的とかそんなことではなくて、今これをやることには意味があるはず。

Birthdays the Beginning

・サントラ配信中!よろしくお願いします!!!
・3月上旬、体験版配信!やってない人は是非!!!
・おそらく3月中、アップデート版配信、お楽しみに!!!
・来春(そろそろ?)海外版、Steam版配信予定、待ちきれない!!!

金沢

・なんかやってるっぽいね。なんも言えねー!!!(笑

おそまつさまでした。
To be continued.

a day in the life. それぞれの生活とか

たとえば、僕が「これよくない?」って誰かに言ったとして、誰かがそれに興味を持ったり無関心だったりして、その反応は一瞬で通り過ぎてしまうものであり、残念ではあるけど、当たり前のことだと思う。

一方で、現実的に僕がゲームを作ると、長い間、開発の仲間や、投資家や、協力していただく全てのヒトが関わっているだけに、一瞬では終わらない。みんなの力の賜物で、これは実にありがたいことだ。でも、それでも、ゲームが世に出た瞬間から、関心の喪失が刻一刻と始まることに変わりはない。野菜も魚も肉も、流通した瞬間から鮮度の衰えが始まるのとある意味似ていると感じる。

そういった生命たるヒトにとっての食品群は、鮮度の衰えに対する抵抗ができないけども、僕が作っているゲームはまだ抗うことができる。良くも悪くもデジタルだから、そのものが劣化することはないし、むしろよくしていくことすらできる。

ゲームにとっての深刻な問題。それは知られていないことだ。それがそこにあることすら認知されていないことだ。生まれた瞬間から刻一刻と社会的な鮮度が衰えていく中、今こそ関心を保ち、広げ、周知させなければいけないと強く思う。

全てのヒトがそれを知った上で、それいらない、と言われるのなら仕方がないと思う。でも、知られずに埋もれていくのだけは絶対に避けなければいけない。それが僕の使命であり、関わった全ての人に対する礼儀だ。

そのためにやるべきこと。それはゲームそのものの質を上げ続けること。そしてそれを発信し続けること。限りなく弱い力だとしても、絶対に諦めずにそれを続けること。

地球上のすべてのヒトが喜怒哀楽を感じながらそれぞれの生活を過ごしている。その中にいったん届いて、何かしらを起こしてみたい。たとえ結果として無風だったとしてもだ。

世界中に目を向けると食べられないヒト、生活すらままならないヒト、生きることすら難しいヒトがたくさんいて、正直娯楽のためのゲームなんかって思う瞬間もある。そんな圧倒的な世界の堪え難い現実の前にあるのが、ただただ無力さだとして、あきらめたら世界は変わるのか?それぞれの生活が良くなるのか?

答えは完全にNo。

じゃあやれば世界は変わるのか。それも分からん。。。けどもNoでないことは間違いない。無力ではなく極微力なだけであり、未来は分からない、と言うのが絶対的正解だ。もしかしたら世界の片隅にたまたま届いたこのゲームを遊んだ人が、将来すごい人になって、それぞれの生活を変えるようなことをやるかもしれない。小さな力は今は小さいけど、そのわずかな振動がもしかしたら遠い未来に大きな力に育ち、何かが変わるかもしれない。

そんなアホみたいなことを妄想しながら、僕は僕なりのそれぞれの生活を続けていく。つまり、アップデートを絶対に実現させる所存であります。

愛ってばさ

爺のセリフではないだろうし、青臭さの代名詞みたいなものかもしれないけども、時々感じるんだよなあ。

あるよ、愛。って。

それを感じると例えようもなくうれしくなるんだよなあ。ええバカですよ。でもさ、そういう一瞬の幸せ感を感じるために、このどうしようもなく絶望的な世の中でも、なんとか前に進んで、少しでも笑えたらなって思うわけですよ。

中二ですかって?
いえ、もうすぐ51歳です(笑

圧倒的で絶対的なスピード感

今の時代に一番大事で必要なことは、ホントはこれなんだよな、、、そんな単純で分かりきったことを実際にやり遂げるのが、何故こんなに難しいんだろう。とか、ほざいていてもしょうがないし。

空回りする焦燥感とうまく付き合いながら、きちんとした結果を少しずつでも紡いでいく。ただ理想主義者的な戯言を叫ぶバカでなく、結果として全てのヒトを幸せに近づけるためにやるべきこと。

それは、冷静沈着に理路整然と、しっかりとした意思を持ってハードルと向き合い、それを超えていろいろなものごとを現実的に前に進める。

できることならみんなと気持ちを一つにして。それしかないわな。

言わないと分かんない

空気読めねーなーこいつみないなことがあるわけですが、半世紀生きて今さらかよとも思うわけですが、自分自身が空気を読めていないことが多いんだね。

このことはいささかショックだったりもするのだけど、それに気づかないまま余生を終えた方がよほど楽だった気もするのだけど、やはりドン引きされると感じるんです。いくらバカでも。

でもさ、みんながみんな空気が読めていなくていいんじゃないのかな。
この話のポイントは「読む」ということで、どうでもいいことをどうでもよくやり過ごすときは「空気読み」のアビリティは真価を発揮するでしょう。だってどうでもいいからね。

「場」としてはひょっとしたらその方がいいことも日々の中には多々ありそうなので、だからこその「読み」なのかもしれなく、、、とかはなんのことだか分からない人が多いのかもしれません。

訳の分からない前置きは書かなければいいということかもしれないけど、僕の中ではセットになっているのでごめんなさい。

結論。自分にとって大事な「場」では空気なんて読まなくていいからなんか言いましょう。嘘、これは建前だ。「場」とかなんか関係ないわ。

言いたいことは、言わないと分かんないよ。

いつでも笑みを

お笑いが大好き。
特にくだらないやつ。ガキ使みたいなのがど真ん中。

俺も相当バカだけど、お前には負けるわー!みたいな瞬間に相当な癒しをもらって生きてきた。まさに下衆の極み。でも、これって実は相当高度な技で、本来人に楽しんでもらうエンタメを生業としているゆえ、感じるところも多々。

笑いは絶対的な正義だと思う。たとえば、ひとりのお客さんである僕は、そのおかげでいろんな電気が体内を駆け巡った末、いつもすごく救われている。楽になっている。ただ、受け手の価値観や感覚は千差万別。同じネタでも中には嫌悪感を感じる人もいるわけで、より多くの笑いを生み出すことは、ほんとうに難しいのだろう。

お笑い芸人ではない自分が、同じようなごった煮の幸せ感をゲームで感じてほしい、とか思ってる。まだまだ、というかまったく。目指すべき道は果てしなく長く、つかむべき旗は遠いんだね。がんばろう。